日本の大学入試の歴史を振り返ったら「あさま山荘事件」の影響デカすぎやろ
センター試験ってあさま山荘事件がきっかけって知ってました?僕は知ってました。(先週知った)なぜいまセンター試験について書こうかと思ったかと言うと、2020年度にセンター試験が廃止され、新しく「大学入学共通テスト」がスタートするからです。
そこで、改めてセンター試験をはじめとした日本の入試の歴史をふり返るいいきっかけになると思ったからなのです。ということで、日本の入試の歴史をふりかえりつつ、2020年の入試改革によって日本の教育はどう変わるのか?いま求められている能力はなんなのかを一緒に考えてみましょーう!
でもね、大学が誕生してからずーーーっと全入時代だったかというと、そうではありませんでした。
と、ここまで聞くと、みなさんの中にはこう思った人がいるんじゃないですか?
「えっw慶応や同志社は明治時代からありましたけどww」(そう思った人は静かに手をあげてください)
しかし、当時の位置づけとして創始者の私塾や専門学校として扱われており、正式に大学へと「昇格」したのはつい最近のことなんです。
というのは間違いで、当時の教育制度は「中ー高ー大」を結ぶ進学コースの他に先生を育てる師範学校や官庁が設立した講習所がたくさんあり、入学した瞬間から就職先が直結していることがほとんどで、現在の高等教育機関ではなく就職予備校に近い形でした。(最近はまたこの形に戻ってきてるけどね笑)
この改革により現在まで続く学校の「6・3・3・4制」の形が完成しました。
ほうほう。戦後になってようやく現在の教育体制が整ってきたけど、どうやって全入時代に突入したんだろう、、?
気になりますよね。その答えはズバリ高度経済成長です。この好景気によって国民のうち9割が「うちの家は中流家庭です!」って答えられるようになりました。
この経済成長に支えられ「あれ?うちの家からでも大学に行かせられるんじゃね?」という家庭が大量に生まれ、1960年には大学・短大への進学率は10.3%、1965年には17.0%、1970年には23.6%へと上昇し、もはや大学はエリートの行くところではなく、みんなが行ける学校になりました。
この、みんなが大学に行ける時代になったからこその大きな弊害が日本社会を覆っていき、多くの事件を生むこととなったのです、、
なぜ事件は起きたのか、なぜ日本は教育改革を迫られることとなったのか。
この時代に大学へと進学したのはベビーブームによって誕生した世代であり、多くの学生が一族初の大学進学者として誇りと期待を一身に背負って大学へ入学しました。
そんな事例が日本全国で多発した結果どうなったかと思いますか?
大学がビックリしちゃったんです!
だってそうでしょう!施設や教育環境を整える速さより、学生の増加が止まらないんですから!
今で言うと、ハンドメイドで細々と商品展開していたらツイッターで異常にバズってしまい、生産体系が整う前に購入希望者で溢れてしまうようなもんですから!
大学がビックリしている間にも学生はどんどん進学してきて、いよいよ教室が人で溢れかえったり、期待いっぱいで授業に参加してもまともな講義を受講することができない環境に陥ってしまいました。
そんな環境で講義を受けさせられた学生はどうしたと思いますか?いまだったらツイッターで文句を言って大学を炎上させようとする輩で溢れると思うけど、当時の学生はやることがスゲーんだ。本当に大学を炎上させちゃうんだよ。物理的に。
全国で大学の環境や学費に不満を募らせた学生が立ち上がって大学に抗議する「全学共闘会議」が広がって、大学内にバリケード作っちゃたり、機動隊とガチンコでバトったりしてそりゃもう大変な事態になっちゃたのです。
この騒動自体は約1年で沈静化されましたが、若者の熱狂の凄まじさを世間に知らしめる結果となり、大学が変革を迫られていることをわずかに認識させることとなりました。
3.あさま山荘事件と日本の大学入試
先ほどの全学共闘会議から4年。いよいよタイトルにもある「あさま山荘事件」が発生します。この事件については詳しくはお話ししませんが、簡単に言うと、毛沢東主義を掲げる日本の大学生がテロ行為に及んだり、批判するメンバーにはリンチをかけ殺害してしまうと言った大学生による凄惨な事件です。
それを受け当時の横浜大学の学長が国会に呼び出されて「なんでお前んとこの学生はこんなことするんじゃー!」と尋ねられました。
それに対して学長は「ウチんとこの学生は二期校生が多くて、コンプレックスを抱えている子が多いんですよ、、」と答える一幕がありました。
はい、ここで出たね”2期校生”というワード!ここが日本の受験シーンを語るところで重要なところです!
この2期校というキーワードみなさんご存知だったでしょうか?僕は知ってました。(先週知った)
当時の国立大学の入学試験として一般的であったのが3月の上旬に行われる1期校、3月下旬の2期校に分けて行われる大学入試試験。それ自体は大きな問題ではないのですが、東京大学などの旧帝大学(名古屋大学や京都大学のトップクラスの大学郡)が1期校に集中したため、2期校は「滑り止め」
と受け取る人も多く、ギリギリ2期校に進んだ学生は被差別意識や劣等感に悩まされることとなりました。
いやいやそんなん机上の空論でしょ?言い訳も大概にせいっ!と疑ってたのかな。実際に国会議員さんが2期校を視察してみるとあらビックリ。みんなめっちゃ暗かったそうですよ。
このような結果を受け、もっと個人の実力にあった進学先を選べるようにしよう!ということで当時の入試体系を見直すことになりました。
当時の入学試験の問題点として、旧帝大学が1期校に集中していることに加え問題だったのが受験問題を各大学に任せていたことです。
えっ?何が問題なの?とお考えのみなさん!
このように入試内容を各大学に任せていると、難問や奇問にあふれ正確に学力を測ることができませんでした。
そこで生まれたのが「大学共通第一次学力試験」です。(長いから一次試験っていうね)
これはテストの作成を大学入試センターが一括して作成を行い、その問題を国公立大学を受験する全員が同じ問題を解答する共通一次試験、その結果を受け志望校を1校だけ選び各大学が独自に作成した問題を解く二次試験に進むというものです。
さすがに1校のみは厳しすぎるだろということで翌年からは3校選べるシステムに変更されました。
さあ!これで長きに渡る大学の改革も終了!行きたい大学に見合った学力があれば入学できるシステム!完璧!こうして日本の入試の歴史は幸せなキスをして、、
とはならなーーーーーい!えっ、、えっーーーーー!!!!
見合った学力の大学にきちんと入れる一次試験のシステム、何か問題でもあったのー⁉︎
残念ながらこのシステムゆえに起こった大学をとりまく暗雲、、その理由はなんだと思いますか?
4.共通一次試験の落とし穴
共通一次試験を採用してはや数年。日本の大学は2つの大きな悩みを抱えていました。ひとつめが、みんな同じようなやつばっかりでつまらーん!です。
どういうことかというと。確かに一次試験前より入学してくる学生の質は安定してきました。そう、安定してきたのです。
以前までならギリギリ1期校に落ちた学生や努力して入学してきた学生など、同じ大学であってもさまざまな学生が在籍しており、多様性に満ちた大学が各地域にあふれていました。
しかし、一次試験導入後は、似たような学力、家庭環境の学生が同じ大学に集中してしまい、学生同士での新しい発見や刺激がなくなってしまったのです。
その結果、以前のような激しい学生運動は無くなったものの、学生をとりまく「まぁこんなもんだよね」という無気力感に日本中の学生が取り込まれることになりました。
そしてふたつめが、大学の序列化めっちゃ激しくなってるやんけー!です。
1期校と2期校で分けたらその間で差別感が出ちゃうよね。だから全部横並べにしよう!そうした結果どうなったと思いますか?
余計に大学間での差別がはっきりしちゃったんですよ笑
いや、笑い事ではない。
これこそが現在までつづく東京大学を頂点とした学歴ピラミッドに関与している問題です。以前までは1期校と2期校という大きな区分しか存在されておらず、それ以外の尺度で大学を測ることはあまりありませんでした。
しかし、個別に受験することが解禁されてからは1点単位でどこの大学に合格できるか、あの大学は何点あれば合格できる、あの大学とその大学の隔たりはこのくらいである、、という大学の偏差値化が鮮明になってしまいました。
このようなことが続発し、「大学なんてどこいっても同じじゃーん」や「より偏差値の高い大学に入ろう!」といった入学後のプランを考えない悪い風潮が蔓延してしまいました。
この問題を解決するために生まれたのがセンター試験なのですが、どうやって問題を解決して行ったのか。そして、なぜ新たに入試の形を変更しなければいけなかったのか。
日本の大学入試の歴史〜近代編〜はまた次の記事で紹介したいと思います!